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最も気を使ったのは、日本人が欲しいと思うような製品を作る方法を知ることだった。当時はシンガポールで組み立てて、それを日本に送っていた。箱を開けたときに最初に見るのはマニュアルだが、それが反対を向いていたとする。すると全て突き返される。アメリカではそういう経験をしたことはなかった。マニュアルの向きが違っていたからと言って、製品自体が変わるわけではないのに。
そう。日本は、違った。われわれの価値観と彼らのそれは違った。アップルは細部に注意を払う。「open me first」、箱のデザイン、折り目、紙の質、印刷。それらに全て注意を払う。ブルガリや高級宝石会社の品物を買ってくるような感じ。当時の日本は、そういう経験を望んでいたんだ。
”
“ ある日のラジオで、ロックミュージシャンのデイビッド・リー・ロスの逸話を聞いた。ヴァン・へイレンのボーカルを務める彼は、コンサートの契約書に「楽
屋にボウル一杯のM&M’sチョコレートを用意すること。ただし、茶色のM&M’sはすべて取り除いておくこと。もし違反があった場合は
コンサートを中止し、バンドには報酬を満額支払うこと」という事項を必ず含めるそうだ。実際、ロスが茶色のM&M’sを見つけてコロラド州でのイ
べントを中止したこともある。(中略)
ロスは自伝の『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』でこう語る。「ヴァン・へイレンは、地方の巡業に巨大セットを持ち込んだ初めてのパンドだった。(中略)
スタッフや機材の人数が多いので、契約書は電話帳並みに分厚かった」その契約書に試金石としてM&M’sの項目を入れておく。「そして、もし楽屋
で茶色いM&M’sを見つけたら、全てを点検しなおすんだ。すると必ず問題が見つかる」それが命に関わることだってある。コロラド州のイベントで
は、興行主が重量制限を確認しておらず、セットは会場の床を突き破って落ちてしまうところだった。”
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職場の先輩から「上司の雑談のかわしかた」の極意を学んだ。
「さしすせそ」が基本らしい。
上司「やっと今週も終わりだよね」
先輩「そうですね」
上司「俺はもう今日の仕事はおしまいだよ」
先輩「さすがですね」
上司「○○にはまだ桜が見れる所があるらしいよ」
先輩「しりませんでした」
上司「今週カミさんと子供連れて遊びに行くよ」
先輩「すてきですね」
上司「君も彼氏と一緒に行けばいいじゃない」
先輩「セクハラですよ」
気付かずにニヤニヤしてる上司が気の毒になった
”
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1. 必ずできると信じろ
「思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ。」
2. 限界を超えろ
「私はいつも自分の出来ないことをする。どうやればいいのかわかるからだ。」
3. 「その時」を待つな
「インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ。」
4. 動け
「明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう。」
「行動がすべての成功の鍵だ。」
5. 正しく問え
「他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う。」
6. ジャッジせず、隠された美を見ろ
「我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが。」
7. 遅すぎるなんてことはない。
「若さと年齢は無関係。」”
“もう一つ、著作権管理の限界以外に、分かったことがある。「音楽だけの時代は過ぎ去った」ということです。ここ数年、アニメのイベントがとても盛り上がっていますよね? アニソンの歌手がステージで歌うのをファンは楽しむわけですが、アニメ業界ではこれを「コンサート」とは呼ばない。「イベント」だそうです。見に行ったら、朝早くからグッズを買うためにファンが行列を作っている。関係者に聞くと、イベントの主目的はコンサートではなくて、物販だとのこと。その辺りを、きちんと割り切っているんですね。”
“そしてもう一つの理由。
虫の音を愛でる文化のある日本でも、さすがにセミの声は騒音とされるが、アメリカなんかではもっと嫌がられている。
テネシーで。ある年の晩春のこと。
「今夏はセミが大量発生する!」という予測が少なからぬ憂鬱と若干の恐れを込めて報じられていた。
ある朝の地元局のニュースでもそれを取り上げ、「セミ大量発生!」までは普通のニュースだった。驚いたのはその先で、そこでは「セミのおいしい食べ方」がさらっと明るい調子で紹介されていた。確かに物珍しさは漂っていたが、いわゆる「ゲテモノ食い」の高揚は感じられなかった。
紹介されていたのはフライかフリッターで、味はまあ可もなく不可もなくといった様子。紹介した人は「エビっぽいんですよ」みたいなことを言っていた
その発想の転換の思い切りの良さに脱帽である。
普段食べるもののレパートリーが-特に「1食30品目以上」がスローガンが掲げられていたこともある日本の食文化からすると-貧困にも見える、その彼らがどういうわけでこのような自由さを持っているのか?
まず下地にキリスト教があるだろう。
新約でいろんなものがチャラになったが、その時に他のものと一緒に食の禁忌もチャラになった、というあれだ。
あと忘れてはならないのは、開拓時代や大恐慌時で経験した苦難である。食べ物を確保するのが大変だった時代、食べられる物は何でも食べなければ生きられなかった時代、というのがそれほど遠くない昔にあった。
結論:アメリカ人はいざとなったら何でも食べる人たちである”
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3月26日、ウィキペディアにおいて新たな伝説が生まれる。なんと、ウィキペディアにおける長野県北部地震の記事に、なんとアンサイクロペディアの当該記事へのリンクが貼り付けられていたという、まさに前代未聞、驚天動地、早めにやってきたエイプリルフール並みの衝撃的な事実が発覚。
もちろん、即座に荒らし認定。リンクも解除。
ところがぎっちょん、大変残念なことに、ウィキペディアよりもアンサイクロペディアのほうがよっぽど内容がまともだったことで、話がややこしくなっていく。
そんな面白い話が巻き起こっているとは露知らず、アンサイクロペディアでは震災の被害を逐一書き込み、二次災害に関する注意も喚起し、復興
支援に関する情報もふんだんに盛り込み、国やマスコミの動きを即座にネタにし、隣県やら過去の事例などもちまちまと取りまとめ続けていく。その結果、なぜかマスコミ各社がウィキペディアよりもアンサイクロペディアの方が正しいと判断。多くの記事でアンサイクロペディアから文章を引用することになる。
これはひどい。こんなひどいウィキペディアに対する嫌がらせは見たことがない。マスコミ各社はいったい何を考えてるんだ、と思っていたら、4月8日現在、ウィキペディアの当該記事は約6,500バイト。対するアンサイクロペディアは約70,000バイト。
・・・えー、うん、その、なんだ、マスコミの皆さん。すいませんでした(棒読み)。
そんな話が次々ともたらされたにも関わらず、4月に入ってもリンクを削除した勢力と情報の拡散のためになんとかしたい勢力との争いは激化の一途をたどる。そして、いつもどおりの、長文すぎて読んでられない争いが展開されることになる。最終的に、当該記事にリンクを貼り付けた張本人は2年間の投稿ブロックを食らうと言う、実に楽しい楽しい結果となる。
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